身の回りの複雑系

流行の広がり

800年近く前にどんなものが流行っていたの?

「この頃、都(みやこ)に流行るもの。夜討ち、強盗、謀綸旨(にせりんじ)。(一部の文字を現代風に変更)」以下ずっと続くのですが、省略します。

「この頃」というのは、建武元年(1334年)と言われています。 その当時の世相を皮肉った「落書(らくしょ)」で、記録が残っている貴重な文章です。 ようするに作者不詳の「落書(らくがき)」です。ちなみに「綸旨」は天皇の言葉(綸言)の通知ですから、「謀綸旨(にせりんじ)」というのは公文書偽造に相当するのでしょうね。

夜討ちや強盗が横行している巷(ちまた)は、まるで映画の「羅生門」(原作は芥川龍之介「藪の中」)を思い浮かばせます。 こちらの舞台は平安時代の末ですが、建武年間は鎌倉時代から室町時代に代わるときです。

全文を知りたければ、「二条河原の落書」で調べて下さい。世相を皮肉っている文章なので、流行って欲しくないもの、下らないもの、下らないことが、いろいろと取り上げられています。 どうしてそんなもの(こと)が流行るのでしょうね。 (⇒流行る(はやる)とはどういうことなの?を参照

「二条河原」とは京都市街の東を流れる鴨川と二条通りがぶつかるあたりです。当時は、橋は架かっていなかったようです。

 

流行り・廃り(はやり・すたり)は世の習い

かつて「流行歌」と呼ばれる歌がありました。そんな歌は、いまでは「懐メロ」として、ときどき耳にします。 もちろん、歌が流行しなくなったわけではなく、今でも、人気グループの歌が爆発的に流行したりしています。 そういえば、50年ほど前に「グループサウンズ」(という言葉)が流行ったことがありました。ようするに歌に流行り・廃りがあるだけでなく、言葉にも流行り・廃りがあるのですね。

服装や髪型の「ファッション」も流行と関連しています。「流行の先端」(なぜこれから流行すると分かるのでしょうね)は、やがて「陳腐化」していきます。 「新しもの好き」と「飽きっぽさ」が私たちには同居しているからでしょう。

もっとも、廃ることはせず、定着することもあるでしょう(たとえばジーンズ)。また、流行り・廃りが長期にわたって繰り返す(振動する)こともあります。

感染症(伝染病)も、流行することがあります。たとえば毎冬、インフルエンザが流行って、受験生たちを悩ましています。 100年ほど前、スペイン風邪が世界中で(日本でも)大流行し、数千万人が死亡したと言われています。 当時は第1次世界大戦末期でしたが、大戦の戦死者が1千万弱だったことを考えると、いかに大きな被害を与えたのか分かるでしょう。 しかしこの大流行はやがて収まりました。今日、「新型インフルエンザ」に警戒しているのは、1世紀前の大流行が念頭にあるからです。 (⇒<病気が伝染する仕組み>を参照



インターネットの普及(普及の初期は流行現象といえる?)がもたらしたSNSでの特定の記事も拡散も流行でしょうね。ブログの「炎上」も流行の一種とみなすことも可能でしょう。もっともこうした流行は、「人の噂も七十五日」のことわざのように、やがて収束して(廃れて)しまいます。

こうした栄枯盛衰は、どのように理解したらよいのでしょうか。 (⇒<流行る(はやる)とはどういうことなの?>を参照


流行る(はやる)とはどういうことなの?

流行とは、ある「もの」やある「こと」が、世間(地域社会、特定の年齢層、国全体、世界など)にいきわたることです。 そこには、放送、宣伝、広告といったメディアの役割や、口コミによる情報共有、他人との物理的接触、周囲の様子の観察など、「生身の人間」どうしの直接の関係が介在しています。 また、積極的に受容したり模倣したりする場合もあれば、避けようとしても病気が「うつる」場合もあります。

こうした流行と呼ばれる現象は、ふたつのタイプに整理することができそうです。 ひとつは、新しい「ものごと」が流行りだし、やがて広く行き渡っていくタイプです。 新しい商品・製品がやがて世間に普及するのが、このタイプです。病気だと「蔓延」した状態でしょう。

しかし「流行」と聞くと、普通は、一旦普及して(広まって)、やがて廃れる現象を思い浮かべます。 あるいは、「流行ったり・廃れたり」を繰り返すこともあるでしょう。こうした流行現象がもうひとつのタイプです。 感染症の流行は、だいたいこのタイプではないでしょうか。 (⇒<流行り・廃り(はやり・すたり)は世の習い>を参照

また、流行は社会現象ですが、そこには個々人の判断(提唱、模倣、購買など)や特徴・性格(好奇心、目立ちたがり、日和見、免疫獲得など)が関わっているのは明らかです。 つまり、マクロな現象(=流行)はミクロな相互作用(=個々人間の関係)の積み重ねとして現れるのです。

流行の分析には大きく分けて2種類のモデルがあります。そのひとつは病気の流行を分析するために発達してきたモデルです。 (⇒<病気が伝染する仕組み>を参照) 伝染病にはさまざまなタイプ(たとえば死亡率がきわめて高い、直ると免疫が獲得される、など)がありますから、さまざまなタイプの流行を扱うモデルが提唱されています。 (⇒<流行伝播モデル>を参照

別な種類のモデルとして社会学者のグラノヴェッターが提唱した閾値モデルがあります。 閾値というのは、世間の中の一人一人が、周囲(世間全体の場合もあれば自分の近隣の場合や友人の場合もあるでしょう) にどれだけの比率(=閾値)ならば模倣・感染するかの臨界値のことです。 そのため、臨界質量モデルと呼ばれることもあります。 閾値が全体としてどのように分布しているのかによって、どのような流行現象(流行しないも含めて)になるのか大きく異なってきます。 個々人間の相互関係をモデル化したわけではありませんが、個々人によって閾値が違い、 どのような範囲で自分の環境を参照するかが違えば、現象の現れ方が大きく変わるということをモデル化しているという意味では、 自分と環境との相互関係をモデル化していると言えるでしょう。


病気が伝染する仕組み

細菌(病原菌)が個体から個体へと伝染する仕組みが分かるのは19世紀末から20世紀初にかけての時期ですが、 それ以前から病気の流行現象は広く知られ、そして恐れられていました。

その仕組みを明らかにしようとした最初の試みは、ダニエル・ベルヌーイ(流体力学の父)だったようです。 その論文のタイトルは、日本語に訳すと「天然痘による死亡率と予防接種の利点に関する新しい解析をめぐる試論」となります。 発表年は1760年。ジェンナーが牛痘の膿を用いた種痘を考案するより30年以上も前のことですから、 ここで予防接種というのは、天然痘患者の膿を用いる方法を指したのでしょう。 生物学的仕組みが分からない時代に、さすが偉大な学者のなせる技ですね。予防接種の効果に注目したのは、疫学的発想をしたのでしょうか。 残念ながら、この文献を調べていないので、どのようなモデルなのか紹介することができません。

ただし、感染者が一人だけで、これから感染する人(感受性者)がN人いる場合の最も単純な流行のモデル(感染者の発生率は感染者と感受性者の積に比例する)は、 適当な変換によって「ベルヌーイ型」と呼ばれる微分方程式になるそうです。おそらく、そのような数理モデルから出発して、免疫獲得の効果を加えたのではないでしょうか。

感染の数理モデルが急速に発達するのは、20世紀半ば以降です。ベイリー著『疫病の数学理論』(1957)が本格的な出発点(パイオニア的業績)です。

もっとも単純なモデルだと、感染者が一人でもいると、やがて全員が感染しておしまい。ロジスティック曲線を描いて、感染者が増加します。 もう少し複雑だと、感染してもしばらくして回復するが、またすぐに感染可能な状態になる。 このモデルに近い病気は、性病の一種である淋病だそうです。さらに複雑にすると、感染すると死んでしまうか免疫ができて、二度と感染しない(死亡すれば当然ですが)。 このモデルに当てはまる伝染病はいろいろありそうですね。これ以外にも、さまざまなモデルが提案されています。 どれも非線形微分方程式系なので、解くためには何らかの仮定や単純化が必要ですが、MASならそのまま(連続時間ではなく離散時刻になりますが)視覚化できます。 (⇒<流行伝播モデル>を参照