身の回りの複雑系

人々が住み分ける仕組み

集まるの?分かれるの? 群れるの?避けるの?

 人間はもともと群れを形成して生活する生き物ですから、「類は友を呼ぶ」という似たもの同士が集まって住む傾向があるかもしれません。 逆に、何らかの違いを理由にして相互接触を避けるために分かれて住む傾向があるのかもしれません。 人々の住み分けるという現象をどのように理解すれば良いのでしょうか。

 また、私たちは、周囲の人々を「身内・仲間・われわれ」と「余所者(よそもの)・あいつら」に分類して、前者でまとまり、 後者を排除しようとしたり後者と対立したりする場合もあります。 結果的に、別々に暮らすようになるかもしれません。

 このような問題を正面から解こうとした古典的研究のひとつに「分居モデル」があります。 これは一人ひとりの行動様式と全体の様子とを結びつける仕組みを明らかにするものです (⇒分居モデル参照)。 その結果は驚くべきものでした。それ以降、さまざまなタイプの研究が発展してきました。


縄張り

 人住み分け/棲み分けと似た現象を引き起こす仕組みに「縄張り」があります。 個体や個体群(群れ)を単位にして、排他的な所有権・利用権を主張するもので、人間なら文字通り縄を張ったり、 オオカミならマーキングしたりして標榜します。一方の主張を他方が認めなければ、「縄張り争い」が発生します。 住み分け/棲み分けのように仲間でまとまろうとしたり異質な他者を回避しようとしたりするのとは異なり、 縄張りは余所者を排除しようとする外向的な作用があります。

  今日の国家は、国境線というきわめて高度化した縄張りによって、相互排他的に区切られています。 私たちが国境線を越えるには、旅券と査証が必要で、出入国管理に服して、税関、検疫を無事に通過しなければなりません。 国家同士の縄張り争いは、領土紛争や国境紛争と呼ばれています。縄張りも領土も、英語ではテリトリーと言います。

 縄張りは、その所有者・利用者に食べ物を求めたり繁殖したりするための空間を提供します。 その意味で、縄張り争いが境界付近(辺境)に限定されていれば、縄張りを持っている生き物は共存可能になるのです。 アユ(鮎)は、川底のコケ(苔)を餌にしますが、縄張りを作ることが知られています。 この性質を利用して、「友釣り」という釣り方が可能になります。 しかしアユが互いに縄張りを主張するのは、個体数密度がある程度までで、密度が高くなると、個々に縄張りを主張するのをやめて、 群れになり、回遊行動をとるようになるのだそうです。


偏見/差別

 エルサレムの旧市街では、ユダヤ教徒、イスラム教徒(ムスリム)、キリスト教徒(カトリックや東方教会諸派)がモザイク状に住み分けながら、 全体としてはひとつの地域社会を形成してきました。 このように、互いに異なる文化を持つ諸共同体が集まって地域社会を作る例は決してめずらしくありません。 しかし、同じ文化を持つ人々が集住しつつ、異なる文化を持つ人々とは接触を避けたり、彼らを排除したりしようとして、 大都市のなかで住み分ける例も多々あります(⇒住み分け/棲み分けを参照)。

 アメリカ合衆国では、とくにヨーロッパからの移民(白人)と奴隷としてアフリカから連行された人々(黒人)との間では、 偏見・差別の結果として住み分けが顕著でした。 また、ヨーロッパからの移民と言っても、イングランド、スコットランド、アイルランド、イタリア、ドイツ、ポーランド、ギリシアなど などさまざまな民族集団(エスニック集団)が出身地ごとにまとまって住み分け、異なる共同体の間では相互に認め合う偏見、あるいは相互に 蔑視し合う偏見が広く観察されてきました。 さらには、ヨーロッパで差別されていたユダヤ人はアメリカでは重要な移民でした。 アジアからも多くの人々が移り住みました。 一方、先住民は、当初はインディアン(コロンブスがアメリカをインド=アジアと勘違いしたことに由来)と呼ばれ、その後アメリカ原住民と 呼ばれましたが、白人が住み着き、西漸するにつれ、排外され、やがて居留地で「保護」されるようになりました。

 こうした多種多様な人種・民族集団から構成されるアメリカ社会は、「人種のるつぼ」と呼ばれたこともありましたが、 「るつぼ」の中のように人々が溶け混じっているのではなく、実際はいろいろな野菜が混じり合っている「サラダボウル」であると指摘されました。 社会学者のボガーダスは、異なる人種間・民族集団間で、どの程度の親近度・疎遠度があるのかを測定できると主張して、 社会距離尺度を提案しました。 ある集団から見て、他の集団をもっとも受容的な態度「親族になっても良い」から、中間的な態度「近所に住んでも良い」を経て、 もっとも排除的な態度「できたら我が国から追放したい」までの7段階からなっています。 この尺度は、人種差別・民族差別が公然と行われていた1930年代に、アメリカの社会学的調査で使われましたが、 今日ではその妥当性が疑問視されることあります

 ほんとうに社会的距離が大きい(「近所に住んでも良い」と思えないほど疎遠な)集団同士が◎◎人街を形成するのでしょうか。 この問題を正面から解こうとした古典的研究に分居モデルがあります(⇒分居モデル参照)。


分居モデル

 アメリカの大都市は白人街と黒人街とに分断されていることが多く、それは人種偏見や人種差別意識の現れだとされてきました。 それでは、どの程度の偏見の強さがどの程度の分居を生み出すのでしょうか。 この問いに正面から挑戦したのがトマス・シェリングというハーバード大学の経済学者でした。 彼の考案した枠組は、シェリングの分居モデルと呼ばれています。

 オリジナルなモデルは次のようなものです(簡略化して説明します)。 8×8の64区画からなる地域社会に、23の銅色人家族と22の銀色人家族が住んでいます(空き家率は約3割です)。 各家族は同じ色の家族が近隣に3分の1以上住んでいればそこに住み続ける(満足している)が、それ未満だと近くの空き家に引っ越します。 全ての家族が引っ越さなくなると、この地域社会は均衡に達します。 シェリングは、チェス盤、1セント硬貨(銅色のペニー)、10セント硬貨(銀色のダイム)、サイコロを使って実験しました。 この試みは、マルチエージェントシミュレーション(エージェントベースシミュレーション)の最初期の事例とされています。

 結果は驚くべきものでした。 各家族は同じ色の家族が近隣に3分の1以上住んでいればそこに住み続ける(満足している)のに、均衡した最終結果では同じ色の家族が 周囲の約3分の2に住むようになるというものでした。 実際に、シェリングのオリジナルモデルで見てみましょう(⇒シェリングのオリジナルな分居モデルを参照)。 つまり、異質な他者に寛容な人々であっても、地域社会全体としては住民が互いに忌避し合っているかのように顕著に分居してしまうのです。 マクロ(大局的)な様相がミクロ(局所的)な設定から予想できないという創発現象の例のひとつです。 もっと大きな地域社会でも同様な現象が見られます(⇒一般的分居モデルを参照)。

 なお今日の実態は、黒人と白人という2人種ではなく、ヒスパニック(メキシコなどスペイン語圏出身者)、 アジア系移民(ひとまとめにされることもあれば、日系、韓国系、中国系、ベトナム系などと分けられることもある)など、 アメリカの人口構成は複雑に捉えられています(⇒実態に近づけた研究、たとえば伊藤・山影2016[Copyright:青山学院大学国際政治経済学会]を参照)。