MASの実際の利用事例について、東京大学の阪本拓人先生にお聞きしました。
ご自身の研究に利用されているほか、教養課程の学生向けにartisoc入門の授業をされています。
研究内容や実際の授業の様子、今後MASに対して期待されることなどについて話していただきました。
阪本拓人 先生
東京大学大学院総合文化研究科准教授。
専門は国際関係論。シミュレーションや衛星画像解析、大規模なテキストデータの分析など計算機を活用した分析手法を駆使しつつ、アフリカの紛争や開発、グローバルガバナンス、人間の安全保障といったテーマの研究に取り組む。
―さっそくですが先生の専門分野についてお聞かせください。
私の専門分野は国際関係論ですが、近年注力しているテーマの一つがアフリカ研究です。人口が急増しているアフリカ諸国の中でも、遊牧民と農耕民の土地利用をめぐる紛争が問題視されているニジュール共和国に着目しています。
人口が少なかったころは住み分けによって共存できていたのですが、人口増から居住地が近接するようになって、土地利用の競合が起き、遊牧民の家畜が農作物を荒らすという問題が起きています。根本にあるのは、農耕に適している土地は同時に良い牧草が生える場所でもある、という点です。
そこで、この地で20年近くフィールドワークをされている京都大学の地理学の先生と共同で、まずは現地の遊牧民の移動や農地の拡大のデータを取得し、マルチエージェント・シミュレーション(以下MAS)を活用して、家畜による食害ハザードマップをつくろうとしています。さらに、できるだけ紛争が起きないように、お互いの土地利用の在り方を政策に生かすようなモデル化をめざしています。
構造的な問題のため解決はなかなか難しいのですが、共同研究者が試みているのは、生活ゴミを乾燥地帯にまくことで、土壌が回復して草が生えることを利用した遊牧民の誘導です。一種のサンクチュアリをつくることで、どこまでいがみ合いを抑制できるかの検証にもシミュレーションが役立っています。MASの利用の一例としても面白い研究になると期待しています。
私とMASとの関わりは修士課程に進んだころ、指導教員であり、構造計画研究所とともに「artisoc」の開発に関わってきた山影進先生から「面白い分析手法があるから使ってみなさい」と勧められたことがきっかけでした。最初はモデルを作ることから始め、博士論文ではアフリカの紛争を再現するというテーマで、民族分布や人口分布などのGISデータを組み合わせ、コンピュータのなかでバーチャルに紛争を検討しました。
―先生はartisocを授業でどのように活用されていますか。
現在、授業でartisocを利用しているのは、東京大学と東京理科大学の教養課程の科目です。MASで楽しもうという主旨のもと、講義と実習を通して、自分らしいMASモデルを作れるだけの技法を身につけてもらうことが狙いです。
授業では、まずartisocを使ってモデルを作ることが第一の目的としてあり、それを通してMASがどのような研究を可能にするかを知ってもらいたいと思っています。artisocの教育上の利点は、まず作ったものがリアルタイムに動いてくれるということが挙げられます。シミュレーションモデルの構成やシミュレーション結果の出力・表示といった手間のかかる部分をartisocではGUIで簡単に設定できるため、プログラミング教育への導入としても適していると感じます。
13~15回の授業の前半では、教科書を中心に手を動かしながらスキルを身につけ、最終的には各自が実際にモデルを作ります。また、どんな問題意識のもとでモデルを作ったか、関連する先行研究などを紹介し、シミュレーションの結果を考察したレポートを課しています。
特に東京大学の授業の場合,受講生は初年次の文系の学生で、最近はキーボードを触ったことがないという学生もいるため、MASとは何かといった基礎から始めて、市場での競争や独占、国家間の戦争や平和といった社会的課題を理解するツールとして役立つことなども伝えようとしています。
第1回 | イントロダクション:技法の紹介、artisocインストール作業 |
第2回 | シミュレーションの準備(3章) エージェントを動かす(4章) エージェントに判断させる(5章) |
第3回 | エージェントに周囲の環境を調べさせる(6章) モデルの設定値をモデルの外部から操作する(7章) |
第4回 | 格子型空間の構造を活用する(9章) シェリングの分居モデルを作る(10章) |
第5回 | 状況に応じた行動の選択肢を増やす(11章) エージェントの属性を豊富にする(12章) 周囲のエージェントから影響を受ける(13章) |
第6回 | 特定のエージェントから影響を受ける(14章) 他のエージェントに働きかける(15章) エージェントへの究極の働きかけ(16 章) |
第7回 | 空間を「場」として利用する(18章) 属性を文字列で表す(22章) アクセルロッドの文化変容モデルを作る(23 章) |
第8回 | 技法の補足説明、学期末課題の提示 |
第9回~第11回 | MASモデルの自主制作 |
※章番号は書籍『人工社会構築指南』のもの
後半の自主制作の時間では、こちらから提示した課題を手がける学生もいますが、なかには独自性の高い、なかなかユニークなモデルを作る学生もいます。
ここ数年の例では、「近世日本の社会構造と食料供給シミュレーション」というテーマで、武士や町人が集まる城下町と農村の食料生産にエージェントを配置し、農村と城下町の相互依存関係や年貢の税率設定によって持続可能性がどう変化するかなど、細かく作り込んだものがありました。また、民俗学者 柳田國男が唱えた方言周圏論(京都で使われていた語形が時代とともに地方に向かって同心円状に伝播していくという説)をもとに、これが実際に起きる条件を探ったものなども目を引きました。そのほかドローンの活用で犯罪が抑止できるかというメキシコの社会実験を再現したシミュレーションや、建築学科の学生による住宅内に散らばったゴミをロボット掃除機がいかに効率よく清掃するかのシミュレーションなども着眼点を高く評価しています。
学生さんの成果物を紹介してくださいました
―MASに対して期待されることを教えてください。
コンピュータのなかでモデルを作り、対象としている社会を直感的に表現して、そこからインプリケーションを引き出すことは、社会科学の技法として今後積極的に活用されていくと思います。特に、国際関係論の分野では、相互作用や動態を明示的に組み込んだモデリングを行っている研究者は少なく、MASを活用することで既存の研究とは異なるアプローチができる可能性は大いにあると思っています。
学生には、なぜ個々の人間や生物のミクロな動きからは想定できないようなマクロの現象が起きるのか、なぜ政策や企業の行動の意図と結果に乖離があるのか、そうした社会現象の複雑さをMASというツールを通して実感してもらい、新しい社会の見方があることを伝えたいと考えています。そして、社会科学の分野からも、コンピュータシミュレーションのスキルを活用する研究者が増えていくことを望んでいます。
阪本先生、ありがとうございました!